Facebookの友達がシェアした動画がきっかけでコメントとして書いたことを、もっとブログっぽく(そして内容を増やして)書きなおしてここに載せる。ちなみに動画はここから見れる→ 【知らない外国人に『HELLO』 を辞めましょう!】
この動画は、見なくてもタイトルから分かる人もおると思うけど、つまり「外国人=英語」という考え方を問題視してる。基本的にはまー、賛成かな?最初はよく耳にする日本に住んでる外国人の愚痴みたいなもんやけど、あとから出てくる「もしあなたが海外に住んでて、毎日必ず現地の言葉じゃなくて日本語で話しかけられたらどう思うか?最初は嬉しいかもしれんけど長年住んでたらどうかな・・・」そして、「もし中国人や韓国人と間違えられて、それらの言葉で挨拶されたりしたらどう思うか?」という話は特に気に入った。けど、そーゆー愚痴みたいなもんはここで語るつもりはない!僕が取り上げたいのは、別の問題や〜
僕は、問題は英語で話しかけることではなく、「外国人=英語・日本人=日本語」という考え方自体やと思う。「ハロー!ハロー!」言うてるのは子供が一番多いと思うし、それが真の問題から派生してきた一つの害のない現象に過ぎない。でも確かにイラッとくる人もおるし、僕自身も普通は平気やけど疲れてる日とかはイラッとくるからなんとなく気持ちは分かる。
日本は島国で昔から「外」から、特にアジア以外からくる人やものは余計に目立つ。それで英語がずっと外のものとして扱われてきたけど、外のものである限り、なかなか自分のものにしてマスターすることは難しい。これも一つの問題やと思う。確かに。けどこれは昔の話で、今はグローバル化がどんどん進んでる。昔の日本人がもともと中国のものやった漢字を受け入れたのと同じように、「内」に入れとかんと。そして、グローバルになってきたこの世界では、それがそんなに難しいことではない。はず。今の問題は(少なくとも英語学習に関して言えば)、日本もある程度グローバル社会になってきてるはずやのに、考え方はまだ追いついていない。内は内。外は外。
インターネットのおかげで世界が狭くなったというか、身近になったので、島国とかはもはや関係ない。それやのに、未だに「内」と「外」を区別しようとするのが日本流。もちろんある程度そうしてもいいと思う。グローバル世界の中で「日本流」、「日本」であること、つまりその唯一性は保ってほしい。個人的にこの国好きやし、素晴らしい歴史や伝統を持ってると思うからな。でもこの考え方は、日本の英語力にも大きな影響を及ぼしてると思う。こんだけ英語教育に力を入れてんのに、なんで英語喋れる人がこんなに少ないん?と疑問に思うてる人は、少なくはないはず。でも日本の英語教育は問題点があまりにも多すぎて、全部を書くのに時間があまりにもかかってしまうから、ここでこの考え方の問題だけを取り上げたいと思いやーす。
とゆーことで、どういう問題かをもっと具体的に説明するためには、まずは子供から見てみよう。
まず、実際に英語でいきなり「ハロー」と言うてるのは子供が一番多いと思う。けど、それは学校でそう教えこまれてるからと僕は思う。外国人の先生(いわゆるALT)は日本語がわからへんから英語で話してみてね♪と、日本人の先生に毎日のように言われてる。(もっとも、それがホンマにそうなのかどうかは別やけど)。目的は、子供たちが英語を話す機会を作ることやと分かってる。英語しか喋られへんのなら、そりゃー英語で喋るしかないな!という考え方にも一理あり。それはそれでいいと思う。けど、ほとんどの子はそれでも話さない。多分、話せないから。いきなり「はい、英語で会話しましょう!」と言われて困らない日本の小中高生(大学生の多くもそうやけど)はそうないと思う。そして喋りたい子は、放っといても勝手に喋る。喋るか喋らないかは、結局、子供一人一人のモチベーションの問題。(そしてそもそもモチベーションのない人に外国語を強引に教えようとすることは、間違いやと僕は思うけど・・・)結果として、挨拶くらいしかでけへん子が多く、モチベーションとは関係なく外国人を見かけると取りあえず「ハロー」と言うてみる。これは最初に言うたように、一つの害のない真の問題の「現れ」で、問題自体ではない。
ちなみに僕が今やってる仕事はちょっと違って、バイリンガルで英語を教えてるけど、ALTの経験も少しはあるので、やっぱり僕もそう言われてた(つまり、この人英語しかわからへんで~って)。すぐさまにその幻想をぶち壊してしまったけどな♪(笑) 僕は、取り敢えず日本語で親しい関係をある程度築き上げてから、英語で話してみよう!と言う作戦を使う。その方が話しやすいし、英語で喋りたくない子でもある程度国際交流もできる。はず。けど僕の話はもうええ(笑)
高校を卒業して大学生になって、モチベーションのない人の多くは英語の勉強をやめる。そして大学も卒業して社会人になる。大人にもなると、(普通は)何かの理由がない限り、いきなり知らん人に話しかけたりはしないと思うし、それが外国人やったら尚更や。でも子供の時からずっと10年程教えこまれてきた「外国人=英語・日本人=日本語」の考え方から別の現象が、「ハロー現象」(と勝手に名付けたりしてみる(笑))の延長線として現れてくると思う。それはつまり、逆に英語がでけへんから焦って何も言わへん。例えばコンビニやスーパーで決まりの「ポイントカードはお持ちでしょうか」や「袋はご利用ですか」などの質問、店員なら毎回自然に出てくるはずのフレーズたちさえも出てこない。「あっ、外国人(=英語 =日本語分からん)、どうしよう」と困る人も、「どうせ分からんから」と思うて何も言わん人もおるわけ。それで、たとえその外国人に何かを日本語で言われても、一瞬それが日本語やと認知でけへん人もおったりする。なぜなら、英語を期待してるから。まーよくあることやと思うけど。僕もたまーに日本語モードに入ってたら、いきなり英語で何か言われてもそれが英語やと認知でけへん時もある。不思議なのは、ある人が日本語で質問して、そしてその答えも日本語で返ってきても、それが日本語やと認知せえへん時。(もちろん、その外国人の日本語がある程度流暢であることが大前提やけど)。そういう経験は実際にあるし、興味深いというよりは怖い。その人、日本語で話しかけてきたのに、それでも英語を期待してたんかな?
やっぱり「外国人=英語・日本人=日本語」
そしてその逆も、つまり「外国人=日本語じゃない・日本人=英語じゃない」
という考え方はたまに興味深い、たまに恐ろしい形で現れてくる。
でも決して日本人全員がそうやというわけでもないし、普通ならこの問題の単なる「現れ」をあんまり気にしない。それでもやっぱりこの考え方は国の英語力に悪影響を及ぼしてると思う。なぜなら、「外国人=英語・日本人=日本語」という考え方から、「外国人=日本語じゃない・日本人=英語じゃない」という間違った考え方が根深く植え付けられてしまうから。
兎に角(もっとも、兎は丸いけども)、多くの日本人は外国人を見かけると、つい英語で話したくなってしまうのは事実。日本人のおもてなしの精神じゃ!と言って正当化しようとする人も多いと思う。そしてまー、納得いかなくはない。確かに、世界共通語にもなってきたし、当たる確率は高いと思う。けど、明らかにそう(つまりおもてなしの精神である)ではないと感じさせられる経験があまりにも多いし、どう考えても必ずしも外国人=英語ができるというわけではないし(世界共通語になってるとしても)、その説は説得力をある程度失ってしまう。よう考えたら。もちろん悪意をもってやってると思うてへんし、ホンマに心の優しさから英語で話そうとする人もおるということを否定するつもりも一切ない。そーゆー人には感謝すべきやろうなと思うけど、問題の延長線として見えてしまう僕にとっては、どうしても問題視もしてしまう。
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ここまで長々と書いてきたけど、最後にいくつかの例を上げたい。つまり、この問題がどんな形で現れてるのかとか、なんで僕が「いや、全部が全部優しさというわけではないよ」と思うてる理由を、面白いハプニングで説明したいと思いやーす♪
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この前、学校のESS(English Speaking Society)部のメンバーで近くの小学校のためにハロウィンパーティをした時、僕がずーっとお面付きの仮想をしてた(ハリーポッターのディメンター。怖かったらしい(笑))。顔が見えへんように。英語の説明は全部ESS部メンバーに任せて、その通訳を僕がやった。「センバヤシ先生」として(笑)
最後に集合写真があったから、その時、「あっ、僕も入ろう!」と言ってみんなの注目を引いてから目の前で仮面をとった。
えーーっ!!というリアクションを期待してたけど、期待はずれやった。
次に起こったのは、まずはちょっと気まずい沈黙。ほんの一瞬。
からの、大混乱。
「何?」
「誰?」
「こんな人おったっけ?」
「ハーフ・・?」
次々と出てくるのはわけわからへんコメントの数々やった。
小学生たちは状況をうまく理解できてなかった。
(というかこの顔のどこがハーフやねん!?笑)
「こんなはずがない、たしかこのディメンターの人、さっきまでは日本語喋ってた。しかも大阪弁。いやいや、つまり、日本人やった。この外国人っぽい人(というか外国人やんな!?)はどこから出てきた?何がどうなってるん?」とか考えてたんやろう。
そして何よりも興味深かったのは、さっきまで普通に僕と日本語で会話してた、そして僕の日本語の指示に問題なく従ってた子供たちが、僕の顔が見えるようになってからは急に僕とまともに日本語で喋れなくなった。緊張も少しはあったやろうけど、仮面とったら、もう、「この人は日本語が喋れる」というイメージがなくなってしまったわけ。いつもの「あっ、外国人、どうしようどうしよう!?」という空気が半端無かった。(自分で言うのはなんやけど、こういう時、空気読めすぎて日本に住むの辛いなーってたまに感じるくらい(;´∀`))
大混乱。
去年の夏も、須磨海岸で同じようなことがあった。日本人の友達と一緒に行ってたら、小学校くらいの年の子供に絡まれた。たしか6歳くらいやったっけ。兎に角、まー楽しそうやったからちょっとは一緒に遊んでやった。そしてちょっとしたら、「お兄さん、外人に見える!」と言われた。「えっ、そうなん?」とボケるボキ。
大混乱。
子供はかわいいし、経験も浅いから色々と許される。それはそれでいい。
そして大人になっていく・・・
今は大阪やけど、最近までは西宮市に住んでた。
ある夜、家まで歩いてる途中のこと。
自転車に乗ったお爺さんが、いきなり後ろから声をかけてきた。
「すんまへーん、出屋敷ってこっからどう行けばええんですかー?」
そして僕が答えられないうちに顔が見えてしまった。
「あっそっかお前分からんか」といきなり少しは失礼な口調で言われた。
(というか多分独り言やったんやろうな)。
僕「いや、分かるけど・・」
お爺さん「・・・」
僕「ここまっすぐ行って左やけど、大きな川もあるからもっと南の方行かんと渡れへんと思いますよ。それでも結構遠いけど・・・」
お爺さん「・・・あ、そう、ありがとう〜」
とか言うて、もっと詳しい説明を待たずに全力で走り去っていった。
果たして辿り着いたんやろうか。
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外国人=英語(=日本語じゃない)というイメージが強すぎる。
そしてその逆、日本人=日本語(=英語じゃない)というイメージも。
昔から島国、しかも鎖国やったから、ある程度はしゃーないと思わなくもないけど、もうグローバル化という言葉が出てきて何年目?そろそろもうええんちゃう?(笑)
僕が思うには、これも「日本人は英語がでけへん説」の大きな原因の一つになってる。そして多くの外国人もなかなかスムーズな日本語を身につけられへん理由にもなってるはず。「どうせ**人やから**語はでけへんやろなー」という考え方を持ってれば、結局そこで終わってしまう。「内」に入れとかないと、いつまでも「外」で在り続ける。これが日本流。いや、多分ある程度世界共通やと思う。僕は、日本語勉強しだした頃からずっと、「ネイティブレベルまでいけるはず。努力さえすれば。諦めさえしなければ」と信じてきた。でけへん理由思いつかんかったから。(それでよくバカにされたり、そんなん無理やろう!とか言われたりしたんやけども)。そして努力をした。今はまー(まだまだこれから!!)パーフェクトではないけど、日本語歴6年の僕は少なくとも6歳の日本の子供よりはできてるはず(笑)
めっさ長々と書いてしまったけど最後に一人の教師として
そして一人の語学学習者としてのアドバイス!
人種なんか関係ない。生まれ育った場所なんかも国籍なんかも、年齢なんかも関係ない。昔の日本人がもともと中国のものやった漢字を受け入れたのと同じように、第二言語をホンマにマスターしたい人は自分の自然な一部にせんと、ある程度上手くなれるとしても、「マスター」することはまず不可能。
多分。
ほな〜